おはようございます。
今日も元気に過ごしましょう。
私はこれから、トレブル、テナーガンバも
引き連れて、出張レッスンです。
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昨日、練習していて
つくづく思ったのだけれど。
記譜法で「書き示せない」というのを、
なんとか正確に
書き示せないかということで、
今の一般的な記譜法になっていったと
学校で習うし、
私もそういう感覚がどこかにあったけれど。
「書き示せない」ということは、
歯がゆだだけでなくて、
それだけ自由度もあると思う。
例えば、週末に弾くドゥマシは、
タブ譜で書かれているけれど、
タブ譜だと、対位法的な音の重なりを
書き示すことができない。
「タブ譜はそういうものだから、注意して読まないといけないんだ」とは
思っていたけれど、
それを「自由度なんだ」とまでは
思っていなかった。
作曲者が自分の意図を明確に、
譜面上に示そうとしたというのと
同じ流れで、
作曲者が求める奏者の自由度も、
なにかの形で、
私たちが受け取ることができるのだろうな。
もちろん、これは記譜法とは違う形で。
当時の出版物等、
いわゆる現存する資料とは違う形で。
音庵秋の演奏会
https://note.com/shiny_dahlia839/n/n7d94fa31fce4?sub_rt=share_b
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