フランスいにしえの吐息

フランスいにしえの吐息
  • 発売日:2024年12月中旬
  • 規格品番:FMOE-003
  • 作曲:
  • 演奏:藍原ゆき(ヴィオラダガンバ)他
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「フランスいにしえの吐息」録音プロジェクトに寄せて

disk1
マラン・マレ
「1台もしくは2台のヴィオルのための曲集」1686年パリ
Marin Marais
“Pièces a une et deux violes” 1686 Paris
組曲ニ短調 Suite in D minor
1.プレリュード prelude
2.ファンタジア fantagie
3.アルマンド allemande
4.アルマンド・ドゥブル allemande-double
5.クーラント courante
6.クーラント・ドゥブル courante-double
7.サラバンド sarabande
8.ジーグ gigue
9.ジーグ・ドゥブル gigue-double

「ヴィオルと通奏低音のための曲集第二巻」1701年パリ
“Pièces de violes & basse-continues du second Livre de pieces de Viole” 1701 Paris
組曲ニ長調 Suite in D major
10.プレリュード&ファンタジア prelude&fantagie
11.アルマンド allemande
12.アルマンド・ドゥブル allemande-double
13.クーラント courante
14.サラバンド sarabande
15.ジーグ gigue
16.「人間の声」 “Les Voix humaines”
17.シャコンヌ chaconne

disk2
フランソワ・クープラン
「クラブサン曲集第四巻」1730年パリ
François Couperin
Quatrième Livre de Pièces de Clavecin
第27オルドルロ短調
Vingt-septième Ordre in B minor
1.アルマンド「至上

作曲者と演奏曲について ―1―

マラン・マレは、1656年5月31日にパリで洗礼を受けた記録が残っています。1728年8月15日にこの世を去りました。父親は靴職人で決して裕福ではなかったと伝えられていますが、幼少期のマレはサンジェルマンの少年合唱を経て1667年に、ロクセロワ教会で音楽教育を受けることとなり、1672年まで在籍しました。そこでヴィオラダガンバの奏法も学んだようです。1675年頃にはパリのオペラ座で演奏するようになります。そして、1679年にはルイ14世の宮廷ヴィオラダガンバ奏者として勤め始めます。1686年に最初の「ヴィオール曲集」を出版し、その生涯に渡り、5巻まで出版されました。彼の作品はヴィオラダガンバのためのみに留まらず、室内楽を始め歌劇、宗教曲など幅広いものでした。
今回のプログラムでは、彼の「ヴィオール曲集第1巻」より組曲ニ短調、「ヴィオール曲集第2巻」より、恩師の死を悼む「リュリ氏のトンボー」を含む組曲ロ短調、性格的小品「人間の声」を含む組曲ニ長調を演奏致します。
組曲ニ短調は、実際にはドリア旋法を中心にイオニア、エオリアと行き来するモード的な色合いが濃く、その作曲年代の背景を伺わせます。一般に、この曲集は「ヴィオール曲集第1巻」となっていますが、彼は出版時に「1台もしくは2台のためのヴィオール曲集」と記しました。通奏低音の譜面は、ディヴィジョンや他の作品が添えられ3年後に出版され、更には「ヴィオール曲集第2巻」が後に出版されて、初めてこれが「第1巻」と呼ばれるようになります。ニ短調、もしくは「ニ」を主音とするドリア、イオニア、エオリア、これらはヴィオラダガンバがよく安定する旋法です。楽譜をめくると冒頭には雄大なプレリュードを筆頭に、計4曲のプレリュードが並び、更に進むと、ほとばしるようなドゥブルを伴うアルマンドやクーラント…マレは、出版の機会を得るまでに、膨大な数の作品を手掛けたことでしょう。それら譜面としては残っていない作品のエネルギーを帯びた、30歳だったマレの、その時点の集大成だったのではないかと思います。
マレは、いわゆる「ヴィオール曲集第1巻」を恩師リュリに献上しています。「ヴィオール曲集第2巻」組曲ロ短調では、その死を悼む「リュリ氏のトンボー」を書いています。バロック音楽の一つの形式である「トンボー」は、主にはリュート、そしてチェンバロやガンバといった、限られた楽器のためにのみ曲が書かれています。「トンボー」の語源はフランス語で「墓」を意味し、偉人の死後その業績を讃えたり哀悼を表します。拍子感はかなりゆっくりで、瞑想的。その起源を葬送のパヴァーヌに見ることができます。「哀しみ」や「痛み」を表現したイタリアの「ラメント」とは一線を画し、訪れる死を象徴した反復音形や魂の苦悩や、その超越を象徴する全音階、もしくは半音階の上昇、下降音形など、死生観をも意識した内容のレトリック的な表現が伴います。「ヴィオール曲集第2巻」が1701年に発表された当時、「トンボー」は、すでに形式としては古典的なものでした。「リュリ氏のトンボー」は、主題が十字架を形作る音形を取ります。そしてマレが愛したため息のフレーズ、全音階を大きく越えた跳躍の上昇などが惜しみなく取り入れられます。こうして、「トンボー」の定義を改めて振り返ると、組曲の前奏曲から、すでにトンボーの気配が感じられます。
マレの「ヴィオール曲集第1巻」は、1686年に出版されましたが、その翌年に発表されたJ・ルソーの「ヴィオール概論」では、幾度となく、ヴィオラダガンバが人間の声に一番近い楽器だと強調されています。長い間、ヨーロッパの音楽で人間の声は特別な存在でした。特に宗教的典礼演奏の場において、人間の声は、他には担えない特別な役目を任されました。それには、「祈りの言葉を発する」という利便性以前に「神が作った人声」と「人が作った楽器」という歴然とした違いがあったからなのです。現代においては、特別な研鑽を積んだ声楽家でなければ、人の声の大きさは楽器の音よりずっと小さいものです。「人間の声」といえばヴィオラダガンバという古楽器の素朴さかと、勘違いされることもあるかも知れません。しかし、当時の人々が持っていた感覚になぞらえると、「人間の声」という表題は、作曲者の楽器への溢れる愛情ゆえの挑戦的な表現の試みだったのです。                         (藍原ゆき)

作曲者と演奏曲について ―2―

フランソワ・クープラン(1668-1733)は生涯に220曲ものクラヴサン(チェンバロのフランス語読み)のための曲を、27のオルドゥル(曲のまとまり)として作曲し、全4巻におさめて出版しました。彼のクラヴサン曲はそのほとんどがエスプリの利いた題名をもつ小品で、その中には実在の人物をほのめかすものも散見され、多くの宮廷人が「音による肖像画」によって描写、ときには揶揄されています。
第27オルドゥルは彼にとって最後のクラヴサン曲集の最後を飾るもので、ジェーン・クラーク女史によると「クープランがクラヴサン曲集で行ってきたこと全ての要約*1」と評されています。至上(「高雅」や「至高」などさまざまに訳される)にはタイトルのイメージとは裏腹に下降音型が多用され、哀愁や時には痛みすら感じさせ、クープランが創造した「至上」の音楽が、同時代人に正当に評価されていないという思いを想像させます。けしは睡眠薬であり、リュリのオペラに現われる「眠りの場面」を思い起こさせます。マレがトンボーを捧げたリュリは、フランス国王ルイ14世の寵愛をほしいままにし、音楽悲劇(フランスのオペラ)を確立した大作曲家でした。次の2曲は《中国人》という戯曲に発想を得たものですが、タイトルは内容とほとんど関係がありません。この戯曲はフランス人のイザベルが、様々な障害を乗り越えてイタリア人の恋人オクターヴとの結婚を勝ち取る物語となっており、クープランが後半生に追求したフランス趣味とイタリア趣味の融合がみられます。オルドゥル第3曲の中国人ではルレというもったいぶったフランス舞踏曲の前半部に、イタリア風の後半部が続きます。戯曲の冒頭には、パルナッソス山で文学の象徴であるペガスス(翼の生えたロバ)がいななき、しばしば会話が中断される場面が置かれていますが、後半に現われる音型はそれを暗喩しているのかもしれません。機知もまたいろいろな解釈が可能な言葉で、「冗談」や「非難」を意味する場合があります。イタリア劇を解さず、卑猥な言葉が使われていると非難した者に対し、ギリシャ神のアポロは「私にとっては機知に富んだ言葉ばかりだ。実際には二重の意味を含む場合もあるけれど。この世のすべての美しい思いは二つの面を持ち合わせている。悪い面しか見えないのだとしたら、それは見る人の精神が堕落している印だ*2」とさとします。曲の後半のイタリア的な部分では《中国人》の中で演じられるアクロバットを表わす音楽が聴かれます。
クープランは1685年よりパリのマレ地区にあるサン・ジェルヴェ・エ・サン・プロテ教会のオルガニストを務めました。フランソワの前任者は父のシャルル(1638-1679)、その前は伯父のルイ(1626頃-1661)であり、当教会のオルガニストの地位は174年間に渡りクープラン家の人々に受け継がれました。また彼は1693年に宮廷礼拝堂のオルガニストとしてヴェルサイユ宮殿にデビューすると、ルイ14世の目に留まって王のお気に入りの演奏家の一人となり、アパルトマンと呼ばれる王の居室兼社交空間で行われる夜会や、その後に王が私的に夕食をとる際などに演奏しました。またルイ14世の孫でルイ16世の父であるブルゴーニュ公ルイをはじめとする王子・王女たちのクラヴサン教師も務めました。
(渡邊温子)

参考文献:『人生の鏡』ジェーン・クラーク、デレク・コノン共著、見坊澄訳、
見坊澄発行、2012年 *1 同書P.217より引用 *2 同書P.221より引用

「このCDについて」
 まず、音楽の流れがじつに自然で、美しいと思います。たとえ、少し気になるところがあったとしても、その事に神経を使わずに一気に仕上げていくのが、演奏としてとても大切なことです。その事がこの演奏には出ています。
 それともう一つ、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの音の響きが、とても良く融和している事です。この二つの楽器の響きを合わせるのは、とても難しいのですが、これほどバランスの良くよれた録音は滅多にないでしょう。その点でも良く出来たCDです。(渡邊學而)