2023.05.24
身体と表現

今週の土曜日は

体育学習発表会がある。

(運動会が新型コロナの影響で変化したもの)

 

息子は五年生になった。

ソーラン節をやる。

 

近所の人に「ソーラン節やります」というと

「もう五年生か、早いね」と言われたらしい。

全国どこもそうなのか

私の通った小学校も

五年生でソーラン節をやった。

 

そういえば、当時男子は上半身裸だった。

 

今は、そういうことはさせないみたいだ。

水泳の授業も

ラッシュガードを着せている。

 

それは、年々強くなる紫外線のこともあるが

裸を見せることに抵抗がある男子に

配慮したものではないかと思う。

 

身体を見せることへの抵抗感は

人それぞれだけれど

表現としてなされた場合

それは、表現者が

あくまで望んだものであってほしい。

 

息子や彼の友人たちと接していて

最近の子どもたちは

神経が細やかで傷つきやすい気がする。

 

「相手の身になって考える」ことは

常に心がけたいものだけれど

その想いだけでは不十分だと

思い知らされる。

身近なところでも

多様性の縮図を見ているようだ。

 

自分の中に、無意識にある固定観念

それが相手より正しいと思っていないか

自問自答する。

そして、既成概念に縛られた自分では

その場その場で必要な判断、思考を

導き出すことはできない。

 

見返る日々、

気づきの日々でありたい。