2023.09.28
「フランスいにしえの吐息」に寄せて⑥

「フランスいにしえの吐息」に寄せて⑥

マレとサントコロンブ

サントコロンブ(ca1640〜ca1700)の生涯は
謎に包まれています。

彼はドゥマシと同様、
ニコラ・オトマン(ca1610〜1663)に師事したことが
伝えられています。

サントコロンブ自身は
作品を出版したことはないようですが
後進の育成に当たったことは有名で
1687年出版
ジャン・ルソーの「ヴィオール概論」は
師であったサントコロンブに捧げられています。

1966年に、
サントコロンブの写本が論文で発表されるまで
彼の作品は知られていなかったようです。

1740年出版の
ユベール・ル・ブラン著
「ヴィオール擁護論」に
サントコロンブの記述があり

若い女性のため息から
老人の叫び声まで
人間の声が持つ
あらゆるニュアンスを
模倣することができた

と、彼の演奏を絶賛しています。
「人間の声」を描写することが
ここでも大きな意味合いを持って
表されていますね。

フランスバロック音楽の
貴重な証言者となった
エヴラール、ティトン・デュ・ティレ(1677〜1762)は
マレとサントコロンブについても
記録を残しています。

マレはヴィオールを
最高の完成度に到達させ、
この楽器の多くの優れた作品
その驚くべき演奏方法によって、
その音域と美しさを初めて
明らかにしたと言えましょう。

マレ以前にはサント コロンブが
ヴィオールに名声を
もたらしていたました。
彼は自宅でコンサートを開催し、
二人の娘のうち一人は高音ヴィオール、
もう一人は低音ヴィオールを演奏し、
父親と一緒にヴィオール・コンソートを
組んでいました。

サント コロンブは
マレの教師でした。
しかし入門から半年後、
自分の弟子が自分を超えることができると
悟ったとき、
彼はもう何も見せられないと
言ったようです。

マレはヴィオールを情熱的に愛しており、
この楽器の技術を完璧にするために
師匠からさらに学びたいと
思っていました。

夏にサント・コロンブが
自宅の庭にいる間、
桑の木の枝の間に建てた
小さな木の小屋に籠って、
気を散らすことなく、
より美しくヴィオールを弾いていました。
マレは小屋の下に滑り込み、
彼は師匠の声を聞くことができ、
芸術の達人たちが内密にしておきたい
特別なパッセージや弓の動きの
恩恵を受けることができました。
しかし、サントコロンブは
それに気づき、
マレに聞かれないように注意したため、
これは長くは続きませんでした。
それにもかかわらず、サントコロンブは
常に彼のヴィオールの驚くべき進歩を
称賛しました。

そして一度、
マレがヴィオールを演奏する機会に
出席していたとき、
何人かの紳士たちに
自分の演奏についてどう思うかと
尋ねられたとき、
師匠を超えることができる弟子はいるが、
若いマレはそれができる人は
見つからないと答えたのですが
しかし、その時
マレは師を越える名声を得たのです。

※※※

私は、今回
「フランスいにしえの吐息」のプログラムの魅力を伝える
演奏者の立場からこれを書いていることを
大いに楽しもうと思います。

余りに、わかっていることが少なく
更には、史実がどうであったかは
サントコロンブの小屋の
下に潜って学ぼうとしたエピソードの前には
探究心さえ野暮に思えてくる
強烈なインパクトから
私は抗うことができません。

「人間の声」に最も似た楽器を
郊外で娘たち(息子もいたはず)と奏でる巨匠がいて
向上心溢れる若いマレを
高く評価していたものの
なんというか、
心の波動が合わなかった。

美しい夏の日々
木々に囲まれた小屋の中で
心置きなく演奏する師の音を
盗み聴く青年音楽家

ティトン・デュ・ティレの記述から
「めぐり逢う朝」という映画が
巨匠サヴァールの音楽監修のもと
制作されました。

その後、小説になりましたが
今は絶版になっているようで
寂しいものです。

(続きます)

#フランスいにしえの吐息