素朴な疑問だけれど
どうして人は、
その持つ能力がうまく活かせない状況に
身をおいたりすることになるのだろうか。
その中からしか学べないことがあるから?
でも、そこに意味を見出そうとするのは
もしかしたら、人間の空想かも知れない。
自由な世界ではあるけれど
そこに実態を求めると縛られる。
過剰に、意味を見出そうとすると
本当は、自分はどこに身を置きたいのか
見えなくなってくる。
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そして、一人の人であっても
複数の面を持つ。
例えば、職場ではなかなか
本領発揮できなくても
家庭では、わかりあえているかも知れない。
もしくは、趣味の人間関係では
まったく違う顔を持つかも知れない。
そう思うと、どんなときでも
自分自身だけは
きちんと自分のことをわかっていたい。
なにをしたいのか
どこへ行きたいのか
どうありたいのか
どこを向きたいのか
※※※
これから、年度末と新年度。
社会全体が、ちょっと動く。
生活の中に、新しい要素が入ってくると
ちょっと、落ち着かないような
安定が崩れるような
もじゃもじゃがある。
白黒つかない、
答えを出さない
様子見の時期。
そういう時に、自分の心の声を
きちんと受け止めていたいもの。
※※※
自分は、本当はどこを向きたいのか。
外や社会を向いている時
自分の内面、内側を向いている時
どちらが心地良いのか。
それも、その時の波に合わせて変化し
混ざり合っていくものなのかも知れない。
どんなに内側に豊かな世界があっても
形にならなければ歯がゆいだろう。
社会に対して強く影響する人も
なにを発信するのか
立ち止まって見返ることがあるだろう。
もし、私が水中に住み暮らす魚だったら
空を見上げ、光を感じることもあるだろう。
陸にいるのなら
水中のことは、
なかなかわからないかも知れない。
でも、水中を覗き見るのは
なんとも神秘的で、楽しいことでもある。