【命術の「合わない」から見える可能性】
画像は、私のホロスコープ。
私は水星を9ハウスにおいていて
射手座なので、
木星の支配下にある。
射手座の水星は居心地が悪いとされる。
水星の「言語化、具体化」する性格と
木星の「拡張化、抽象化」の性格が
引っ張り合ってしまう。
9ハウスは海外とのコンタクトや
異文化に発信していくこと
向上心、高みを目指すハウス。
「哲学」の意味もあり、
現実的な論理、思考の水星とは
イメージが違う。
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そんな9ハウス…
確かに、私は
「行ったことがないところ」に行くのが
絶望的に苦手である。
イタリア時代も
勉強の土台になる日々の生活に
慣れるまで、大変だったし
沢山の人にご迷惑もかけたと思う。
勉強の仕方も要領が悪くて
結果として示すことが大の苦手
具現化と抽象化が引っ張り合うことは
今振り返ると、実感としてある。
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合わないもの、真逆なもの、相反するものに
どう対応したらいいのだろうか。
一般的に、主な選択肢は
①どちらかを諦める
②無理をして両方取る
このどちらかとなっている気がする。
そして、そのどちらも
あまりいい選択肢ではない様に思う。
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錬金術には
「一度分けて、然るべきときに合わせる」
ことにより
新しいものを生み出す考え方がある。
ライダー版タロットでの表現としては
大アルカナ6番が「恋人たち」
これは、失楽園が題材になっていて
例えば理性と本能を分けて把握することにより
己を知っていく。
後に14番節制で
相反するものを混ぜ合わせて
19番太陽で新たな自我が誕生する。
それを私の場合に置き換えると
「言語化、思考力、具体化、可視化」の要素と
「拡張化、抽象化、発展化、高次性」の要素
混同しないように一度分けて考え
時期が来たときに混ぜ合わせ
もしくは自然に混ざり
自分らしいやり方が見つかっていく。
それが、相反するものに
むしろ「恵み」として可能性を見ることで
木星らしい気もする。
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安易に「吉、凶」で見てしまったり
災難除けとしての見方では
ここには絶対に至らない。
自分自身を知っていき
意志を踏まえたうえでの方法論として
現代における占星術の楽しみがある気がする。