2023.07.27
「ドゥマシの熱い鼓動」に寄せて③

今回は、ドゥマシの先生について
少し触れてみましょう。

ドゥマシはヴィオラ・ダ・ガンバを
ニコラ・オトマン(1610〜1663)に師事しました。

オトマンはドイツ、恐らくブリュッセル出身で
生涯の大半をパリで過ごしたと言われます。
ヴィオラ・ダ・ガンバの他にも
リュートやテオルボの名手だったと伝えられます。
デュマシをはじめ
サント・コロンブを教えた人でもあります。

サント・コロンブは後に
ルソーやマレを育てています。

現在、オトマンについては
ほんの僅かな楽譜と
彼に関する記述で知るのみですが
その後の影響から見ても
ヴィオラ・ダ・ガンバの歴史上
重要な人物と言えるのです。

ドゥマシが、彼の「ヴィオール曲集」序文の中で
ピッツィカートを第四の奏法としてあげたことは
前回、ご紹介しました。

ヴィオラ・ダ・ガンバとリュート族の楽器は
いくつか共通点があり
当時、両方を演奏する奏者も
きっと珍しくはなかったので
ドゥマシの提唱した
リュートやチェンバロの様に
メロディを歌いながら自分で伴奏する音楽を語る上で
ピッツィカートは後世においてのそれより
違った位置づけだったのかも知れません。

(続きます)