ドゥマシは生前
「ヴィオール曲集」を一冊残したのみですが
同時代の人がドゥマシのことを語った文章からも
彼のことをうかがい知ることができます。
ルソーはドゥマシと
演奏法について、作風について
激しい議論を交わしたことが
資料に残っています。
正直に告白すると
学生の時、このやり取りを見た時
少々、嫌味っぽい言葉の選び方から
「ん?ディスり?」と
心に引っかかるものを感じましたが
今、改めて読み返すと
情熱と、それが形を変えたレトリック的感覚
そしてなにより
様々な考えが残っていることに
豊かさを感じ、嬉しくなります。
🍁🍁🍁
彼らの主張について
大きく分けて2つの点を
2回に渡り着目してみましょう。
まずは、左手の構え方について。
ドゥマシは、基本的な手の形として
親指を人差し指の裏に置くよう指示しています。
手を開く時には親指が中指の裏に来る、
その2つを使い分けると書いています。
前回、ドゥマシはオトマンに師事し
サント・コロンブと同門であったと書きました。
私達、現代のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が継承している弾き方では
親指は基本的に、いつも中指の裏です。
サント・コロンブはいわゆるこうした「序文」的なものを
出版することはありませんでしたが
ルソーの記述を見ると
ドゥマシとサント・コロンブは異なった弾き方を提唱し
サント・コロンブの奏法のみが後世に伝わり
現代の私達に継承されていると読むことができます。
学生の時、ドゥマシの序文で、
ここの部分を読み
ドゥマシの作品を弾く時だけ左手の使い方を変えるということはできないし
今の私達の弾き方で彼の作品を弾くことはどうなのか
少し、迷いのようなものを感じました。
その時に、心に浮かんだのは
ルネサンス、バロック時代の絵画で
ヴィオラ・ダ・ガンバが描かれているものは
弓の持ち方が色々だったり
構え方も様々で…
それらの全部に現代の奏者が沿う必要はないし
でも、その絵画のどれも素敵で
当時の奏者による息吹が具現化したものであるということ。
私がもし、ドゥマシの前で彼の曲を弾いたら
「左手の使い方が違うよ」と
言われるかも知れない
そんなことを考えながら彼の作品を愛し、
想いを寄せるのも
幸せな一時だなということです。
(続きます)
#ドゥマシの熱い鼓動