今朝、ドゥマシの音源をまた
聴き返した。
今、思っても
不思議な空間だった。
楽器の、その瞬間持つ弦の重さ
箱鳴りの形
全部と対話しなければ弾けなかった。
「自分の理想」を掲げようとすると
楽器はついて来てくれない。
曲を弾き始めるまで
どういう演奏になるのか
全く、見えなかった。
例えば、ガーデニングをやる人は
植物に心があり、意思があることを
受け止めていると思う。
恐らく、そういう感覚で
「楽器にも心、意思がある」と
私は思っている。
CDとして、形になった時に
そういった、「ドゥマシ」作りが
どこまで、受け止めていただけるか。
なにか、一人の演奏者の葛藤として
「関係ないこと」「遠いこと」と
据え置かれてしまったら寂しい。
心を開いていただける人になること…
2024年9月14日(土)17:00〜
ドゥマシの演奏会をしようと思って
会場を取りました。
よろしくお願いいたします。