「フランスいにしえの吐息」に寄せて⑤
マラン・マレは、
1656年5月31日にパリで
洗礼を受けた記録が残っています。
1728年8月15日にこの世を去りました。
父親は靴職人で
決して裕福ではなかったと伝えられていますが
幼少期のマレは
サンジェルマンの少年合唱を経て
1667年に、
ロクセロワ教会で音楽教育を受けることとなり
1672年まで在籍しました。
そこでヴィオラダガンバの奏法も
学んだようです。
有名な、サントコロンブとの師弟関係については
後で触れていくことにしましょう。
1675年頃には
パリのオペラ座で演奏するようになります。
そして、1679年には
ルイ14世の宮廷ヴィオラダガンバ奏者として
勤め始めます。
1686年に
最初のヴィオラダガンバ曲集を出版し
その生涯に渡り、
5巻まで出版されました。
彼の作品は
ヴィオラダガンバのためのみに留まらず
室内楽を始め歌劇、宗教曲など
幅広いものでした。
1706年には、カンプラの後任として
パリオペラ座管弦楽団の
指揮者に就任しています。
(続きます)
#フランスいにしえの吐息