「フランスいにしえの吐息」に寄せて⑨
今回のプログラムでは
マレの「ヴィオール曲集第2巻」から
組曲ニ長調を演奏します。
そこに含まれる「人間の声」について
今日は触れてみましょう。
「人間の声」とは
どのようなニュアンスを持つのでしょうか。
♬♬♬
マレの「ヴィオール曲集第1巻」は
1686年に出版されましたが
その翌年に発表された
J・ルソーの「ヴィオール概論」では
幾度となく、ヴィオラダガンバが
人間の声に一番近い楽器だと
強調されています。
その一つとして、彼は
ヴィオラダガンバの歴史を説明するのに
旧約聖書の創世記を持ってきています。
その内容を要約していくと
①神が最初の人間を作った。
②蛇にそそのかされて
楽園を出ることになった。
③それは、神の御業を行えると傲ってしまったからなのだが
その夢を諦めることはできなかった。
④しかし、神のような創造はできないので
神が作ったものを模倣しようとした。
⑤人の声に模倣して楽器を作り、
一番人声近いものが
ヴィオラダガンバなのです。
こういうヴィオラダガンバの歴史認識は
逆に斬新で、新感覚ですね。
とはいえ、
なぜ楽器で人間の声を模倣したのか
当時の感覚を直線的に表す
貴重な証言だと思います。
♬♬♬
長い間、ヨーロッパの音楽で
人間の声は特別な存在でした。
特に宗教的典礼演奏の場において
人間の声は、他には担えない
特別な役目を任されました。
それには、
「祈りの言葉を発する」という利便性以前に
「神が作った人声」と
「人が作った楽器」という
歴然とした違いがあったからなのです。
それを踏まえた上で
ユベール・ル・ブランによる
サントコロンブを絶賛する
若い女性のため息から
老人の叫び声まで
人間の声が持つ
あらゆるニュアンスを
模倣することができた
という記述も
少し違った見え方が
できるような気がします。
♬♬♬
現代においては
特別な研鑽を積んだ声楽家でなければ
普通に、人の声の大きさは
楽器の音よりずっと小さいものです。
「人間の声」といえば
ヴィオラダガンバという古楽器の素朴さかと
勘違いされることもあるかも知れません。
しかし、当時の人々が持っていた
感覚になぞらえると
「人間の声」という表題は
「ヴィオラダガンバ、すげぇだろ!」という
マレの強烈なマウントにも思える
挑戦的な表現の試みだったのです。
#フランスいにしえの吐息