「山本有三記念館春の朗読コンサート2024」に寄せて⑦
今回は、ヴィオラダガンバ演奏プログラムで
Aフォルクレの小品を取り上げる。
ヴィオルは
ルイ14世に愛された楽器であった
マレは天使のようにヴィオルを奏で
フォルクレはそれを
悪魔のように奏でる
これはユベール・ル・ブランによる
有名な言葉である。
しかし、そもそも「悪魔」とは
どんなものだろうか
当時の人々は
どんなイメージを抱いていたのか
何回かに分けて
悪魔について、探ってみたい。
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【マルセイユタロットに見る悪魔像】
現代で使われる「ライダー版タロット」の
原型になったものが
マルセイユタロットである。
フランスのマルセイユ地方に
印刷工場があったことから
こう呼ばれている。
ゲーム用のカードとして普及していた。
素朴な木版画の味がある風合いで
私の手元にあるのは
1760年にパリで出版されたものの
レプリカである。
18世紀の出版物は
楽譜しかほぼ見たことがなかったので
粗いタッチながらも
象徴として、強く発するメッセージ性に
違う世界に迷い込んだような
ショックを初めは受けた。
当時の音楽家たちは
時には、それでゲームをしたり
カード1枚1枚が持つ世界観に
それぞれの日常を重ね合わせたり
創作のヒントにしたのではないだろうか。
マルセイユタロット、大アルカナ
15番「悪魔」のカードについて触れてみたい。
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絵をよく見ていただければ
男性であり、かつ女性でもあるように
描かれていることが見て取れる。
これは、男性女性という枠を超えた
大きな力を持つことを示すと言われている。
「人知を超えた存在」であり。
人為的なコントロールができない力を持つ
象徴でもある。
台座は実世界を表す。
そこに繋がれている人は
悪魔の力に繋がれ、
自身の姿を失い
操られているのだろうか。
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カードの世界観として読む時には
「欲」というものがテーマになってくる。
「欲」も、求め方によっては
大きな「欠乏感」を伴い
自分自身を見失うこともある。
けれど、その「欲」を
一切、見て見ぬふりをしても
本当にいいのだろうか。
なぜならば、「悪魔」とは
実際には、人間が善悪の物差しで図る範疇を
遥かに超えた存在であるから。
「悪魔」にしか持てない力を見てみたい
その「欲」は
歴史的に見ても多くのアーティストを虜にした。
そして、「本当に欲しいものは何か」
自分の心の声を聞けない人はまた
悪魔の台座に繋がれた人よりも、更に
自分を見失った状態であるとも
この世界観は投げかけている。
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余談になるが
タロット大アルカナ、
15番が「悪魔」であるが
1+5=6となるので
数秘術としては表裏の関係になる。
6のカードとは「恋人たち」で
「天使」が描かれている。
目隠しをした状態で、
選択を迫られている人に
今にも矢を放とうとしている姿にもまた
いわゆる、常識的な、道徳的な責任感は
微塵も感じられない。
人知を超えた存在のなせる技なのだが
悪魔が「善悪」の「悪」ではないように
天使もまた、決して
「善悪」の「善」ではないようだ。
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三鷹市山本有三記念館
第15回春の朗読コンサート
朗読:野田香苗
ヴィオラダガンバ:藍原ゆき
随想『竹』他
Aフォルクレ
『ヴィオルと通奏低音の曲集』
(1747年パリ出版)より
第1組曲から「ラボルド氏のアルマンド」
第2組曲から「ブレイユ氏」「ルクレール氏」
Aキューネル
『1台もしくは2台のヴィオラダガンバと通奏低音のためのソナタ、パルティータ集』
(1698年カッセル出版)より
ソナタ11番ニ短調
Jシェンク
『楽の戯れ』
(1701年アムステルダム出版)より
組曲ヘ長調より「ガボットのテンポで」
2024年5月24日(金)、25日(土)
18:00開演
詳細はホームページをご覧ください
↓
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/event/20240524_25/