私の西洋占術の先生が
占いビジネスのチャットGPT進出により
きちんと勉強していない人が
占いという名で
仕事として人の心に介入していく危惧
避けられない時代の流れについて
動画を出していらした。
チャットとかAIは仕事が早く
形だけ整えるのは
もう、かなりの所まで行っているそうだ。
けれど、今までなかったものを生み出すことは
絶対にできない。
人の幸せの形は様々で
変化を望まない人もいることだろう。
けれど、今までにないことに気がついたり
本当の自分に、
かつてないくらい深い領域で触れる時
「嬉しい」「悲しい」といった
既存の言葉では言い表せない想いに包まれる。
それを、「感動」というのだと
私は思う。
私は、占いの世界には属していないけれど
音楽やアートの世界も
当然、そういうお役目をになっている。
私の立ち位置、音楽面でも
時代の流れとどう向き合うか
あまり、
大きなスケールのことはわからないものの
日頃、感じることを少し…
youtubeで、動画を出すようになって
海外を含めて、沢山の方との出会いがあり
とても楽しく、有意義に感じている。
私は、育った世代なのかも知れないけれど
「録音という作品」として形を整えるよりも
生演奏でどう対応していくか
そこに力を入れてきたところがあり
今になって、いろんなことが重なって
こうやって動画を出すことになるとは
思っていなかった。
切り貼りはせず
その時に産まれたものをそのまま
保存して出すことになっていて
かつて勉強したことも
大切だと思ってきたものも、そのまま
形を変えて放出されるということでは
筋道としてのつながりを感じる。
そして、ショート動画や
自分の表現のBGMとして
音源を使うことに挑戦しているけれど
これが、難しくて…
ここではヴィオラダガンバの抑揚の幅広さ
私がいつもこだわっている音色の多様さが
どう捉えられているのだろうと思うと
やはり、歯がゆいを通り越して
怖くなる。
おそらく、今後は
フラットで変化のない音の組み合わせ
それでなされる表現が
需要として伸びていくのだろう。
私は、電子音楽を否定する気持ちはなく
むしろ、好きな表現がたくさんあり
だからこそ、あえて学びたくて
刺激を受けたくて
ヴィオラダガンバでは
不利になる土壌だと知った上で
表現を試みているのだと思う。