【ヴィオラダガンバ練習曲についての私見⑦】
少し間が空いてしまいました。
音庵では、先月に春の演奏会が終わり、
生徒さんの新しい曲決めも済んだところです。
また、これまで書いていた流れに
それてしまう話ですが
自分で今後の指導法についての
心構えと気づきを深めるきっかけに
アウトプットしたいと思いました。
お付き合いいただければ嬉しいです。
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昨日は、二人の方のレッスンをしました。
曲はどちらも、1725年にパリで出版ですが
異なる作曲家によるもの。
一つはフランスの伝統が顕著に現れる作品で
もう一つはイタリアの影響が強く見えるもの。
両者の違いが象徴的で
それによる拍子感や歌い方、
そもそも音楽の流れが異なるので
少し作風を比較しながら
レッスンを進めたいと思いましたが
「こういう場合は、こう」と言うことは
できたとしても
その根底にある美的感覚の立ち位置まで
説明する力は、私にないなと思いました。
例えば、イネガールの捉え方も
私の説明は、
絶対に間違ってはいないはずだけれど
伝える言葉としてはわかりにくいかも知れない
基本的な考え方ということとは別に
レッスンで、実用面でも有効であるために
その都度工夫しなければいけないと
いつも思います。
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相手に言語化して伝える中で
音楽のイメージが具体化する
手助けになればいいのですが
「規則」みたいな形で限定されたものに
逆に表現が縛られるようになれば
私の意図とは違います。
そういう葛藤は、場面場面は違えど
いつも持っていたし
沢山の指導者が持つ想いではないでしょうか。
そして、教本を残した先達の方々も
その葛藤があったのではないかとも
改めて、思いました。
私も、一応はそうなのですが
教則本を残した方々は
あくまで専門は演奏であり、
言葉を使うことではありません。
演奏、音楽表現で語ったときに
受け取り手がそれぞれの受け取り方をするのは
当然のことだと思いますが
奏者が言葉でなにか説明したり
書き残したものは、やはり
意図に沿って受け止めることを
心がけたいものです。
先人が残した教本、そこに示される奏法は
「規則」として奏者を縛るものではなく
イメージを具体化する
手助けであったと思うのです。
そして、そこに置かれた言葉の中で
表しきれなかったものも感じ取れるように
背景をよく調べ
演奏や作品を見る姿勢として
心をしっかりと運んでいきたいと思いました。
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音庵(東京都世田谷区)、楽庵(長野県茅野市)の2か所でヴィオラダガンバの音楽教室を開いています。
主に個人レッスンです。
曜日や頻度を固定せず、お互いに予定を合わせてレッスン日を決めているので、お忙しい方でも無理なく学ぶことができます。
初回のみ、無料体験レッスンを受けられるのでお気軽にお問い合わせください。
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